篠原ともえさんの手がけた作品が、ニューヨークの世界的な広告賞を受賞しました。
篠原さんの10代の頃のタレント活動を覚えている者としては、近年の彼女は同じ人とは思えない活躍ぶりです。
篠原さんはいまどんな活動をしているのか、また生い立ちや結婚相手は誰なのかなどについて探ります。
篠原ともえが世界的な広告賞を受賞
篠原ともえさんがデザインを手がけた革の着物作品が、「第101回ニューヨークADC賞(THE ADC ANNUAL AWARDS)」で銀賞と銅賞をダブル受賞しました。
作品は一般社団法人「日本タンナーズ協会」による革産業・文化を発信する活動の一環で制作したもので、本来廃棄される革の端の曲線をグラデーションで表現し、着物に仕立てたものです。
昨年の同イベントでは、彼女のデザイン・ディレクションによる革のアクセサリー作品が受賞しており、2年連続の受賞でした。
篠原ともえの多彩な活動
かつてはタレントや歌手、俳優として大活躍し、ファッションリーダーとしてシノラーブームを巻き起こした篠原さんですが、現在は「デザイナー」という肩書きのことが多いようです。
しかしデザイナーだけでなく、アーティスト、テキスタイルデザイン、ナレーターなど多彩な活動をしています。
そして2020年にご主人と共にクリエイティブスタジオ「STUDEO」を設立し、会社経営者にも乗り出しました。
ここでは単なる商品デザインだけでなく、ブランド戦略をトータルにコンサルティングするビジネスを行っています。
テレビの露出機会は以前ほどではないものの、多岐に渡る活動で非常に多忙なことが伺えます。
そんな篠原さんは、2018年にTwitterを辞める宣言をしてアカウントを削除しました。
炎上などによるものではなく、デザインの仕事が増えているので時間を大切にしたい旨を説明していました。
篠原ともえの生い立ち
篠原ともえさんは1979年3月29日に東京都青梅市で生まれました。
両親と兄2人の5人家族で、お父さんは寿司職人で家業は青梅市内のお寿司屋さんでした。
お母さんは東京都青ヶ島の出身で、ともえさんの曾祖母は青ヶ島の最高巫女といわれた伝説的な人だそうです。
お父さんの影響か、お兄さんは2人とも料理人です。
篠原さんの本名は「友恵」で、これは当時人気絶頂だった三浦友和さんと山口百恵さんから1文字ずつとったものだそうです。
ちなみに三浦友和さんと山口百恵さんが交際宣言したのは1979年10月ですので、篠原さんが生まれたのはその半年ほど前ということになります。
篠原さんは幼少時より多趣味で、10歳頃からデザインに興味を持ち、バレエを習いました。
中学1年でバンドを組み、ギター、ボーカルを担当しました。
中学3年でソニー歌手オーディションに合格し、ボイストレーニングのレッスンを受けるようになります。
東京都立八王子工業高等学校(現・東京都立八王子桑志高等学校)2年生の時に、電気グルーヴの石野卓球プロデュースによる「篠原ともえ+石野卓球」名義のシングル「チャイム」でデビューしました。
その後はフジテレビ『HEY!HEY!HEY!』などのバラエティー番組で、人懐っこくハイテンションなキャラクターで瞬く間に人気者になります。
1996年にゴールデン・アロー賞の新人賞を受賞しました。
1996年から1999年頃にかけて、篠原さんの個性的なファッションを模倣する「シノラー」と呼ばれる人々が現れ、まさに社会現象となりました。
1997年に高校卒業後、戸板女子短期大学・被服科に進学しますが、裁縫技術を学ぶため文化女子大学短期大学部・服装学科に翌年編入し直しました。
この頃からコスチュームデザインなども手掛けるようになりますが、あくまで芸能の仕事に付随するものとしてでした。
2000年代は舞台での活動にも力を入れるようになります。
篠原さんが芸能活動に付随したものではない、デザインの仕事にも力を入れるようになったのは、2010年代に入ってからです。
服飾デザインに限らず、キャラクターやマークなどのデザインに関する仕事、また天文普及活動や青梅市親善大使、とっとりふるさと大使など、幅広い分野で活躍しています。
篠原ともえはとても多趣味
篠原さんは歌だけでなく、ギターやキーボード等の楽器を演奏できます。
放送番組の制作でも、中学3年の時に学校紹介ビデオの制作に携わり、中学生ビデオコンクールで1位に表彰されています。
デザインでは、高校3年の時にポスターデザインのコンテストで全国1位になりました。
服飾に関する専門的な知識を有していますが、2019年には母校の文化女子大学短期大学部に入学し直しています。
また天文にも興味があり、天文宇宙検定3級の資格を取得しました。
この他、色彩検定・カラーコーディネーター検定・アロマテラピー検定2級にも合格しています。
篠原ともえの結婚相手となれそめ
篠原さんのご主人は、アートクリエイターの池澤樹さんです。
池澤さんは東京都出身で、学年で言うと篠原さんの3つ下です。
クリエイターとして活躍する人の肩書は一言では言い表せないものですが、池澤さんも広告、CMからパッケージデザインなど幅広く手掛けるアートディレクター・クリエイティブディレクターとして活躍しています。
例えば、サントリーウーロン茶のミランダ・カー出演のCMや、トヨタのスポーツカーブランドGRのCMなどを手掛けました。
2004年に武蔵野美術大学を卒業し、東急エージェンシー・博報堂の大手広告代理店を経て、2020年に篠原さんと共にクリエイティブスタジオ「STUDEO」を設立しました。
ふたりのなれそめは、篠原さんの展覧会に池澤さんが参画したことです。
2018年9月の篠原さんの「TOMOE SHINOHARA emotion in motion 篠原ともえ150の原画展」を監修したのが池澤さんでした。
これを機にふたりは交際に発展し、翌2019年1月末に結婚届を提出しています。
交際開始が展覧会後だとすると、4,5か月程度というスピード婚でした。
なお二人の間にお子さんはいません。
まとめ
1990年代後半の篠原さんの活躍ぶりは、その年代でないとできないであろうハイテンションなものでした。
今は本当に落ち着いた大人の女性として、1990年代には出せなかった魅力を醸し出しています。
今後はご主人との相乗効果で、才能豊かな夫婦による活動が期待できそうです。
以上、ニューヨークの広告賞を受賞した篠原ともえさんについてでした。