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ミノ・ライオラなき後サッカー代理人勢力はどうなるんだろう

2022年5月1日

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ミノ・ライオラが死去したというニュースが入りました。

「強引なやり手」という印象の報道が多かった人ですが、自分のスタイルを貫いた交渉人だったように思います。

 

ミノ・ライオラ逝去報道の経緯

ミノ・ライオラ氏は肺の疾患を抱えていたとみられ、1月頃から入院していた模様です。

4月28日、複数の欧州メディアが一斉にライオラ氏の死去を報道。

これに対して、ライオラ氏の関係者や同氏の公式SNSは、死亡を否定していました。

しかし同30日、家族が同氏の公式SNSで「ミノは最後まで闘った」と死去を認める声明を載せました。

享年54歳。

ライオラ氏の遺産は100億円を下らないと見られています。

 

 

ミノ・ライオラの経歴

ミノ・ライオラ氏は1967年にイタリアに生まれましたが、1歳の時に家族でオランダに移住。

オランダとイタリアの国籍を取得していました。

実業家として非常に早熟で、弱冠19歳で代理人業務の会社を立ち上げています。

7ヵ国語(イタリア語、オランダ語、英語、ドイツ語、スペイン語、ポルトガル語、フランス語)に堪能で交渉術にも長けており、特にオランダ市場の選手をイタリアのセリエAのクラブへ移籍させる案件で頭角を現します。

29歳の時にパヴェル・ネドヴェドをラツィオに移籍させた案件で、一気に有名になりました。

ズラタン・イブラヒモビッチやポール・ポグバなど世界的に有名な選手を顧客として数多く抱えています。

高額な案件に高額な手数料を設定することで知られ、しばしばクラブサイドと対立し強引な手法を批判されました。

特にジョゼップ・グアルディオラとは犬猿の仲と言われています(グアルディオラの弟ペレも有力な代理人です)。

 

ミノ・ライオラなき後の代理人勢力

世界の有力な選手たちが交渉を任せられるネゴシエーターの数は限られます。

そこには明らかに、代理人の「格」というものが存在します。

ライオラ氏の顧客は超有名どころだけでも20名ほどいますので、今後どの代理人と契約するのか注目です。

世界のサッカー界の代理人は、ライオラ氏を含めトップ3と言われていました。

ライオラ氏以外は以下の2名です。

◆ジョルジュ・メンデス

1966年ポルトガル生まれ。
世界で最も影響力のある代理人と言われる。
特にCロナウドを始めポルトガル選手に強い。
クラブにも選手にも人柄の良さが認められている。

◆ジョナサン・バーネット

1950年イングランド生まれ。
英国紳士らしい落ち着いた物腰で誠実に交渉する。
プレミアリーグに在籍する選手に強い。
アシュリー・コールのチェルシー電撃移籍や、ガレス・ベイルのレアル・マドリード高額移籍で有名。

 

メンデス氏やバーネット氏は二人とも人間性に定評があり、こう言ってはなんですが強引で辣腕な印象のライオラ氏とは一線を画すところがあります。

またこの2名に続く人材として、ドイツ市場に強いフォルカー・シュトルトや、「ブラジルのライオラ」と呼ばれるジュリアーノ・ベルトルッチ、スペイン人に強いホセ・オティン等が挙げられますが、いずれもオールマイティーというよりは特定のテリトリーに強みを持つ印象です。

交渉能力が高く人脈が広い代理人は数が限られているため、有力選手を中心に顧客が集中する傾向は続くことでしょう。

 

まとめ

日本の代理人は自分の報酬を、選手の「移籍金や給料の何%」という形で顧客である選手から受け取るのが普通です。

しかし世界のサッカーの代理人は、自分の報酬もクラブと交渉するのが一般的です。

ライオラ氏は特に高額な契約の場合、選手の移籍金とは別に自分の報酬をクラブと取り決めていました。

このやり方が代理人の報酬を高騰させている原因とも言われており、クラブの負担を見かねた国際サッカー連盟(FIFA)は、例えば2015年に撤廃した代理人公認資格制度の復活等の対策を検討する構えを見せています。

しかし代理人サイドも人脈を活かしてFIFAの内部に取り入っており、今後の動向には目が離せません。

以上、サッカーの有力代理人ミノ・ライオラ氏死去の話題でした。

 

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