山下達郎さんのアルバム「SOFTLY」のジャケット肖像画で話題のヤマザキマリさん。
かつては映画化された漫画「テルマエ・ロマエ」が大ヒットしたことでも知られています。
ヤマザキマリさんの夫は誰なのか、そして息子はいるのかについてまとめました。
そこには劇的な出会いがありました。
ヤマザキマリの最近の話題
ヤマザキマリさんは、1967年4月20日生まれの漫画家であり、文筆家、画家でもあります。
ヤマザキマリさんは漫画家のイメージが強いですが、元々はイタリアで美術を学んでいました。
最終学歴はイタリア国立フィレンツェ・アカデミア美術学院卒です。
肖像画を描いてもらうのが夢だったという山下達郎さんのオファーを受けてジャケットの絵を手がけました。
明日発売の山下達郎さんの新譜「Softly」
ジャケットの肖像画は私が敬愛する15世紀の画家Antonello da Messinaをイメージしながら描きました
撮影した写真を参考に、細かい部分はご本人にモデルをしてもらいつつ2ヶ月かけて完成
詳しくはツアーパンフレットの対談をどうぞ
→https://t.co/XhTfx8alO4… pic.twitter.com/TTPZieO3hP— ヤマザキマリ( Mari Yamazaki ) 公式 情報用アカウント (@THERMARI1) June 21, 2022
漫画家のイメージが強い素人目には、ヤマザキさんが描いたとはわかりませんね。
ヤマザキマリの旦那は誰
ヤマザキマリさんには、ペッピーノさんという14歳年下の旦那さんがいます。
イタリア人の文学研究者で、ふたりは2002年に結婚しています。
ヤマザキさん35歳、ペッピーノさん21歳の時でした。
ペッピーノさんは文学研究者らしく落ち着いた大人しい人物で、およそイタリア人にありがちな陽気な性格では無いそうです。
文学研究者として、シリア、ポルトガル、アメリカなど住まいを移動していましたが、いまはイタリアで高校の教師をしているとのことでした。
ヤマザキマリの旦那との馴れ初め
ヤマザキさんは14歳の時にヨーロッパを一人旅しています。
ビオラ奏者だった母親・山崎量子さんが行く予定だった旅行が仕事の都合で行けなくなり、代わりに行くよう母親から勧められたのだそうです。
14歳の娘に国外の一人旅を勧めるとは、なかなか前衛的な母親です。
ヤマザキさんは、この一人旅で人生を左右するほどの印象的な出会いをしました。
パリからドイツに移動する途中で知り合ったマルコさんというイタリア人陶芸家の老人から家出を疑われ、また「すべての道はローマに通ずる、イタリアを訪れないのはけしからん」と説教されたのです。
このマルコ爺さんは、ヤマザキさんが帰国した後、母親の量子さんと文通を続けることになるのでした。
それから20年後の2001年、マルコ爺さんの訃報を受けた量子さんの勧めで、34歳のヤマザキさんはマルコ爺さんの娘家族を訪ねたのでした。
そこで知り合ったのが、マルコ爺さんの孫(娘の息子)である20歳のペッピーノさんだったのです。
ヤマザキさんとペッピーノさんは古代ローマの話題で意気投合し、三日三晩語り明かしたそうです。
語り合ううちにヤマザキさんにぞっこんになったペッピーノさんは、ヤマザキさんが帰国した後に熱烈なラブレターを送りました。
最終的にヤマザキさんがこの求愛を受け入れ、後述します7歳の息子を連れてペッピーノさんと結婚したのでした。
ヤマザキマリに子供はいるのか
ヤマザキさんには、ペッピーノさんと出会う前の28歳で出産した一人息子デルスさんがいます。
デルスさんは1995年頃の生まれで、2022年現在27歳前後だと思われます。
名前のデルスは、黒澤明監督の映画「デルス・ウザーラ」からつけられたものだそうです。
ヤマザキさんは14歳のヨーロッパ旅行のあと、東京のミッション系の高校に進学します。
しかしヤマザキさんは当時パンクに傾倒しスキンヘッドにしたり、ディスコのツバキハウスに入り浸っていたり、校則の厳しい私立高校の枠からはみだした存在でした。
息苦しさを感じていたヤマザキさんがイギリス留学について調べていたところ、母・量子さんから、高校を中退してイタリアで美術を学ぶことを勧められます。
実は量子さんがマルコ爺さんに手紙で娘のイギリス行きを相談していて、「絵を描きたいのならイギリスではなくイタリアに寄越せ」とアドバイスを受けていたのでした。
ヤマザキさん自身はイタリアに行きたいとは思わなかったそうですが、高校を中退して、大学検定試験に合格してからイタリアのフィレンツェへ飛び立ちました。
ヤマザキさんはフィレンツェの美術学校で学ぶことになりますが、間もなくアパートの隣に住む大学生の詩人と恋に落ち、同棲するようになりました。
この恋人は頭が良くて文学にとても造詣が深く、日本の小説にも詳しい魅力的な人物でした。
しかし売れない詩人で経済力が無かったためヤマザキさんが養わざるを得ず、マルコ爺さんや量子さんは心配していました。
この同棲は11年に及び、途中キューバに渡っての生活も経験しています。
この間に、生活の糧として漫画を手掛けるようになったのでした。
そんなギリギリの経済状態で、ヤマザキさんは詩人の子を身ごもりました。
子供を産むと決めた時に、二人は養えないことが明らかだったため、相手と別れシングルマザーになることを選んだのだそうです。
デルスさんはハワイ大学在学中に交換留学生として京都大学でも学んでいました。
理工系のエンジニアを目指していましたが、母マリさんの勧めもあり卒業後は新たな経験を求めてネパールで約半年過ごしました。
現在は写真家をメインに、イラストや小説などでも幅広く活動しています。
まとめ
今のヤマザキマリさんのご様子からは想像できない、かなり時代を先取りした生きざまの女性だということを感じます。
お母さんの人柄や、旅の道中で偶然出会った老人との縁が深く関わっていたことがわかります。
以上、ヤマザキマリさんの旦那さんと息子さんについてでした。