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オシム元監督の経歴と哲学。日本のサッカーに残したものとは

2022年5月2日

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2022年5月1日、サッカー指導者で元日本代表監督のイビチャ・オシム氏が死去しました。

享年80歳。

いわゆるハウツーを指導する「コーチ」ではなく、自ら考えることを指導する「師」と言える人物でした。

 

オシムの経歴

イビチャ・オシム氏は1941年、旧ユーゴスラビアのグルバビツァで生まれました。

サッカー少年であると共に学業も極めて優秀で、名門サラエヴォ大学理数学部数学科入学後、教授に代わり数学のインストラクターを務めたほどでした。

教授から研究職に就くことを勧められたものの、生活のために給料の高いプロのサッカー選手となりました。

 

1964年の東京オリンピックに、サッカーのユーゴスラビア代表として出場し、日本戦で2ゴールを挙げています。

1968年の欧州選手権ではベストイレヴンに選出されました。

選手時代の前半約10年間はほぼユーゴスラビアのFKジェリェズニチャル・サラエヴォで活躍しましたが、29歳から引退した37歳までの後半はストラスブール等フランスのクラブに所属しました。

プロの選手として、イエローカードを一度も食らったことがないという伝説の持ち主です。

 

指導者としては古巣のFKジェリェズニチャル・サラエヴォでコーチと監督を約8年間務めた後、45歳でユーゴスラビア代表監督に就任。

1990年W杯イタリア大会でベスト8入りを果たしますが、ユーゴスラビア最後の監督として国の分裂・崩壊に巻き込まれ、1992年に内戦に抗議して辞任しました。

その後はギリシャのクラブを経てオーストリアのSKシュトゥルム・グラーツの監督に就任し、UEFAチャンピオンズリーグに3度の出場を果たしています。

このSKシュトゥルム・グラーツでは、日本で過ごした5年間を上回る約8年間を過ごすことになり、特別な関係を築きました。

オシム氏の逝去を最初に公表し追悼したのは、SKシュトゥルム・グラーツの公式サイトです。

 

2002年にSKシュトゥルム・グラーツ監督を辞任し、翌2003年にジェフユナイテッド市原監督に就任。

2005年にはJリーグヤマザキナビスコカップに優勝を果たしました。

そして2006年、日本代表監督に就任 し、2010年南アフリカ大会を目指すことになります。

しかし2007年11月に千葉県内の自宅で脳梗塞で倒れ、奇跡的に一命を取り留め意識も回復したものの監督を辞任しました。

 

その後オシム氏は監督には就任していません。

しかし2011年に祖国のために一肌脱ぐことを決意します。

ボスニア・ヘルツェゴビナのサッカー協会は民族別に分裂したまま統合できずにいたため、FIFA、UEFAから資格停止処分を受けていました。

その協会の統合に向けた「正常化委員会」の委員長に就任したのです。

そして協会の一本化に成功したため資格停止の制裁は解除され、ボスニア・ヘルツェゴビナ代表は2014年W杯ブラジル大会本選進出を果たしたのでした。

 

オシムの指導者としての原点

オシム氏は学生時代から、他人を指導し理解させる能力に長けていたと言われます。

そして民族間の対立が激化する祖国のクラブや代表チームを纏めるという難役の中で、甘さは排除しつつもただ押し付けるのではなく、自分たちで考えながら対処することを指導するスタイルを確立しました。

 

オシムの哲学と日本のサッカーに残したもの

オシム氏は生前のインタビューで「日本が世界を目指す上で、最も足りていないところはどこだと思いますか?」という質問に対して、以下のように答えています。

何もない。(優秀な)監督もいるし、お金もあるし、スタジアムも良いリーグもそろっている。(あえて言えば)自分の道を探すこと。それは私が何度も繰り返し言ってきたことだ。SportsNavi

サッカーのチームを作る前に、国としてひとつにまとまることさえ困難だった祖国に比べて、日本は何と恵まれていることかと思ったことでしょう。

そして日本の選手は真面目に言うことを聞くけれど、自分で考えて答えを出す努力をしないことに歯がゆく思っていたのではないでしょうか。

オシム氏は「考えること」と「走ること(ハードワーク)」を選手たちに強いました。

休んでいる時に考えるのではなく、両方同時にということです。

「休むのは引退してからだ」というのも口癖でした。

 

まとめ

2010年のW杯南アフリカ大会で日本代表チームは、岡田監督の元で決勝トーナメントに進出しました。

それは評価に値する結果だったと思います。

しかしオシム監督が病に倒れずに指導を続けていたらどのような結果になっていたか、「たられば」を空想しながら故人をしのびたいと思います。

以上、オシム元監督逝去についてでした。

 

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