山田孝之さんが東京の過去の時代にタイムスリップするNHKスペシャル「東京ブラックホール」の第3弾が放映されます。
今度の時代はバブル期。
日本全体がイケイケドンドンで、自信満々だった時期です。
山田孝之主演の「東京ブラックホールⅢ」
山田孝之さん主演の「東京ブラックホール」第3弾は、2022年5月1日に放送されます。
NHKスペシャル 「東京ブラックホールⅢ 1989-1990 魅惑と罪のバブルの宮殿(仮)」
・放送日時: 5/1(日) 午後9:00
・放送波: 総合
2017年8月の「戦後ゼロ年 東京ブラックホール 1945-1946」、2019年10月の「東京ブラックホールII 破壊と創造の1964年」から約2年半を経ての第3弾です。
バブル景気は私が社会人になりたての頃で、バブル期の高揚感と弾けた後の景気の冷え込む様子は、昨日のことのようによく覚えています。
バブル景気とは何だったのか?
日本全体が熱に浮かされたように狂乱していたバブル景気とは何だったのか、振り返ってみたいと思います。
バブル景気の発端は、1985年のプラザ合意だと言われています。
ドル高による不景気に苦しむ米国の呼びかけにより、先進5か国がドル高是正に合意したのです。
その後日本は予想以上の猛烈な円高に陥り、日銀はその打開策として低金利政策を実施。
5回に渡り公定歩合を引き下げ、1985年に5%だったものが1987年には2.5%にまで引き下げられました。
金利が下がって企業は銀行から借金しやすくなり、借りたお金で土地を買うことが流行しました。
国土の狭い日本には、経済の上昇と共に土地の価格は値上がりし続けるという「土地神話」があったのです。
銀行も、土地を担保にすればどんどんお金を貸しました。
土地の値段はどうせ上がるからという土地神話の元、銀行は担保の土地の値段を上回る金額を、競うように貸しました。
このことが後に、不良債権まみれになった銀行の経営難に繋がっていきます。
世の経営者たちは、銀行から借りたお金で土地や株を買って本業以外で稼ぐ「財テク」に血まなこになりました。
本業に固執する経営者は無能と言われる風潮すらありました。
イケイケの浮かれた世相は一般市民をも巻き込みました。
きっかけは1987年のNTT株の新規上場でした。
わずか2カ月で1株200万円も値上がりしたのを目の当たりにして、一般市民も株に殺到しました。
空前の株ブームとなり、株の値段はどんどん上がっていったのです。
日経平均株価は、1989年12月29日に38,915円の史上最高値をつけました。
このように、土地や株式に先導される形で日本が実体の無い好況感に沸いていた時期をバブル景気と呼びます。
バブルですから、いずれ泡のように景気が弾ける時がやってくるのですが、当時は好景気が永遠に続くものと錯覚していました。
バブル景気はなぜ弾けたのか?
バブル崩壊のきっかけは、実際の価値を大きく超えて高騰した地価や株価の引き下げを狙って、政府や日本銀行が金融引き締め策を行ったことでした。
日銀は1989年に公定歩合を2.5%から6%台まで引き上げ、政府も1990年に不動産向け融資を規制しました。
そして1991年には、投資目的の土地所有の旨味を抑制する地価税法が施行されました。
これらは行き過ぎた資産価値の高騰にブレーキをかけるための施策でしたが、予想をはるかに超える急激な景気後退を招く結果になりました。
1990年以降、土地や株の価格が急激に下がったことにより、動揺した投資家は売却一辺倒となります。
バブル景気は一気に崩壊し、その後は「失われた20年」と呼ばれるように長い間景気が回復することはありませんでした。
まとめ
世間が好況感に浮かれている時には、「ちょっと待てよ」と一人だけブレーキを掛けるのは困難です。
当時おかしいと気付いていた人は居たかもしれませんが、「死なばもろとも」の心境だったのではないでしょうか。
今後これ程の規模のバブルは来ないかもしれませんが、小規模なバブルはいつでもあり得ることです。
「リメンバー・バブル」を心に刻み付けておくことは大切でしょう。
以上、NHKスペシャル「東京ブラックホール」の第3弾に関する話題でした。